雪割草(ミスミソウ)の仲間の概要

早春の太陽の光をいっぱいに受けて、いち早く花開く山野草の一種がミスミソウです。この仲間はキンポウゲ科ミスミソウ属(Hepatica)の多年草です。

雪割草

ミスミソウの仲間は雪割草の名で福寿草と共に、お正月から早春にかけての鉢花や寄せ植え材料として、古くから親しまれています。近年は専門家や趣味家の育種が進み、目を見張る新しい花が次々と誕生して、日本だけでは無く、世界的な人気を集めています。また、この花は普及する山野草の中でも実生からの栽培や増殖がやさしい種類です。少し開花まで年月を要しますが、初心者でも容易にタネから育て上げて開花を楽しむ醍醐味や、交配作業で、オリジナルな自分好みの花作りを楽しむことができます。開花する山野草の少ない季節、魅力あふれる雪割草に触れてみましょう。

雪割草はなぜ漢字で書くのか

(提供:新潟県立植物園)
植物の和名はカタカナで表記するのが決まりですが、雪割草は漢字で表記します。
これは本来であれば、「ユキワリソウ」を使いたいところですが、すでにサクラソウの仲間に「ユキワリソウ」という和名の植物があります。このため、この名前が使えず、「雪割草」と表記しています。漢字で表記することで、正式の和名ではないと言うことと、サクラソウ科のユキワリソウとは違うことを表しています。

歴史的にみると、本邦初の記録、佐渡の産物をまとめた「佐州図上」(1730年以前)には、「獐耳細辛(しょうじさいしん:雪割草の漢名)、雪ワリ」、1733年に江戸で刊行された「地錦抄附録」には、「すはまそう、みすみぐさ」、岩崎灌園の「本草図譜」(1828年)では、「獐耳細辛、さんかくそう」、「草木育種(そうもくそだてぐさ)」(1818、1837年)には、「さんかくそう、すはまそう、ゆきわりそう」と記され、江戸時代にはさまざまな名前では呼ばれていたことが分かります。

雪割草の江戸時代の流行

(提供:新潟県立植物園)
江戸前期から中期の園芸の流行は、大名をはじめとする武士階級や裕福な商人などの趣味として大型のツバキやツツジなどの花木類が中心でしたが、江戸時代も後期になると鉢で栽培することのできるアサガオやサクラソウなど小型の草花が主流をなし、庶民にも園芸が広まりました。
江戸中期から栽培された雪割草も江戸後期に京や江戸で流行をみたことが「長楽花譜(ちょうらくかふ)」(1841年)によって知ることができます。
品種名の付された68品種の彩色図をみると、花形は一重または半八重程度と花形の変異は少ないものの、花色は白、桃、紅、紫などと変化に富んでいることが分かります。当時はこうした変わり物が収集され、その珍奇を競ったと考えられます。
新潟県では「越後名寄」(1756年)や「佐渡志」(1804~1818年)には取り上げていないことから、自生地はあっても、栽培はされていなかったと考えられます。